スポーツ方法学会大会 ワークショップ 甲野善紀 氏(武術研究家)

古武術における理論と実践

古武術の技術を使って、生活や介護に至るまで幅広い分野で活躍されている甲野義則先生が、3月26日のスポーツ方法学会大会に於いてワークショップを開催されました。

「古武術における理論と実戦」という演題で体育・スポーツへの甲野先生の考え方をお話になる中、会場にいる聴講者を演台に上げ実演をしながら約2時間お話をされました。

その中では、スポーツの中での身体の使い方、介護への利用法などを披露され会場からどよめきや驚きの声も聞かれた。時おり冗談も交えて会場の笑いを誘いつつも、ご自身の経験を元にお話が展開されました。

 

掲載している写真は甲野氏の許可の下、撮影されたものです。転載等は一切禁止いたします。

講演要旨(配布資料より引用)

 現在、あらゆるジャンルで研究と言うと「科学的研究」を指す傾向が強まっている。そして、その科学的とは何を指すかというと現在のところ、まだ論文として書き表すことが主な研究方法であるように思われる。

 しかし、身体の動きという事に関してあらためて考えれば、精妙な身体技法は、それが精妙であればあるほど同時並列的にいくつもの情報処理が行われており、そうした働きを論文という「Aの時にB」「Cの時にD」といった、いわば2次元的な意識構造と同じ論述形態で書き表すことができるとは到底思えない。

 周知のように物理学は近代に入って、その研究の進展に伴い、それまでの算術的な因果律では説明がつかなくなり、量子力学といった抽象的な概念を導入せざるを得なくなっている。筆者は、そのようなことに対する専門的知識は持ち合わせていないが、筆者と親しいその道の専門家から話を聞くと、要するに近代物理学では、より深く物事の真相を探っていくと、単純な算術的世界を放棄せざるを得なくなったようである。

 例えば、有名なハイゼルベルグの不確定性理論は、ごく微細な粒子の性質を研究するとき、その位置を正確に捉えようとすれば運動量が曖昧になり、運動量を正確に捉えようとすれば位置が曖昧になるという恰も「あちらをとればこちらが立たず、こちらをとればあちらが立たず」の状態になっているということのようである。これは算術的方法では捉えられるはずがない。だからこそ抽象的な世界へと入っていったのであろう。

 そしてこの事に関して思い浮かぶのは、武術においては昔から剣術などの高度な動きが「夢(無)想剣」等とよばれる意識下の働きを脱した動きとして伝えられることである。つまり、より精妙な働きを具現化しようとすれば、それは「あちらをとればこちらが立たず」の意識下では行うことは難しいということである。そのためであろうか。日本剣術史上「心法の剣」として名高い無住心剣術では、食事のときに「何気なく使う箸の動きや悪路で足を滑らせてバランスを崩しそうになったとき、思わず行う体を釣り合わせてバランスをとろうとする働きに着目している。

 つまり、今回の学会で私が申し上げたいことは、血の通わぬ物の科学がすでに算術的に因果論ではその実体の解明が不可能と気づいているのに、物よりも遥かに難しい生命体の動きを扱う学問が現在のような状態でいいのだろうかということである。そのための研究材料として、若干いくつかの技も実演し、研究者の方々のご参考に供したいと考えている。